Monday, June 30, 2008

[廈門] 事故の行方

・・・若者は体をくねらせている。カレー店の従業員や道行く人が駆けつけ彼を立ち上がらせようとしている。アウディのオーナーが運転席から出て若者の片腕を引き上げるも、途中で道端に移動した。若者は動けないわけではなさそうだ。道の中央で、バイク脇に腰をおろし携帯で誰かに連絡を入れている。アウディのオーナーも同様誰かに連絡を入れている。・・・

Thursday, June 26, 2008

[廈門] 小心 ( ご用心 )

・・・日本の気心の知れたもの書きさんからもメールをいただいた。「・・・burikinekoだってやっぱり疲れているとおもうよ。もう、気心の知れた奴と、一緒に老後を真剣に考えようよ。ほんとだよ。・・・」。ほんとだよ、の一言は胸にこたえた。あたしはなぜアモイなぞという異国にい続けているのだ。日本には彼のように気心の知れた奴らがいるではないか。深謀術策だらけのここアモイとは大違いだ。身も心も潰されてしまう前に母国へ戻るべきなのだろうか。小心小心(気をつけよう)。・・・

Wednesday, June 25, 2008

[廈門] 返信

・・・彼女の手紙には何とあたしとほぼ同時期、亭主が尿道結石で大騒動して家に戻り、ローマの開業医をウェブ検索していたらアタシのメールが届いていたという。「burikinekoさん!信じられませーん!」の一文はまさにそのことを指していたのだ。ただ、彼の場合は再発、三度目だそうで、扱いも慣れたようす、ご丁寧に、アタシに処方箋をつくってくれた。参考までにその一部をご紹介させていただく。きっと役立つに違いない。・・・

Tuesday, June 24, 2008

[廈門] 友への手紙

悲しいかな、年のせいでありましょうか。こちらに来てすぐにサービスアパートメントからホテル形式のかわいいかわいい部屋を借りたのまではよかったものの、ある真夜中に腰の後ろに激しい鈍痛。長い時間何度も何度も繰り返す痛みを受けて、あーこのまま異国の地に骨をうずめるのか、多くの知人にはどう連絡を入れたらいいのか、悶絶する中で考えあぐねていたのであります。・・・

Tuesday, June 03, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 農村に住もう・・・

農村に住もう、農村には何があるだろう。千葉の片田舎と同じだろうか。堆肥を作り、寝かし、翌年に野菜を植え、農薬を抑え、おかげで虫退治に追われ、鍬で土を鋤き、なれぬ腰つきの外国人を見て村のばっちゃんが教えに来てくれるに違いない。しかしばっちゃん、標準語は話せないかもしれない。おかげでアタシはミン南語を覚えるかもしれない。まだまだやってみたいことはたくさんある。・・・

Monday, June 02, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] あれこれ書き留めておこう

・明日の朝食をと、マンション足もとの小売店 ( xiao3mai4dian4 ) でパンを買った。小さな小さな店の小さなカウンターのパン、いつもならさっと薄い薄いビニール袋にほおり投げてくれるのが、それがない。突っ立って見ていると、お嬢さん、「今日は袋を使わない日よ」。そうだった、資源節約、石油製品の使用を減らそう、ごみを減らそうが六月から始まったのだ。・・・

Sunday, June 01, 2008

東アジアは「停看聴」:[廈門] 画廊にライブを聴きに行こう

公園通りをアートビレッジに、そんなことを考えているおばさんにお会いした。日本に留学し、米国人と結婚し、母国で何ができるか、数年前そう考えてアモイにやってきた。公園通りに居を構え、マンションの窓から見える古ぼけた西洋館がとても魅力的に見えた。

西洋館は銀行の支店、彼女夢見るように毎日その建物を眺めていた。ある日張り紙を目にする。「レント、連絡は○○○まで」。ここで何かをするあてがあるわけでもなく電話を入れる。何度も何度も大家と交渉を重ねるも、到底手が出ない。結局そこは出版会社が借り受け、内装に手を入れ、ちょっと凝りすぎかとも思われたが西洋館の雰囲気は継承していた。・・・